アンとナンシーのウィルソン姉妹で有名なハートは、1963年結成。ただし、この時点ではまだ姉妹は未参加で、70年にアンが加わり、72年に“ホワイト・ハート”と名乗り出し、74年にナンシーが加わって“ハート”となった。そのハートの代表曲のひとつが、この「愛していたい」。「ディーズ・ドリームス」と「アローン」が全米No.1になっているから、最高位2位のこの曲はハートにとっては3番目のヒットとも言える。
この曲の原題を直訳するとかなり危ない。いわく“私がしたいのはあなたとのセックスだけ”ということになるのだけれど、この曲のヒットのおかげで、アン・ウィルソンは長い間、業界関係者から「あなたが一番やりたいことは何ですか?」とか「好きなことは何? 愛する相手に何を求める?」といった質問、あるいはもっと単刀直入に「この歌の主人公と、アン自身を重ね合わせると?」なんていう質問まで、ありとあらゆる好奇の目を浴びせかけられてきたそうだ。
この曲の作者は、シャナイア・トゥエインの旦那としてもお馴染みのマット・ラング。マットは、この曲を男性用に作ったという。もっと具体的に言えば、ドン・ヘンリーのヒット・アルバム『エンド・オブ・イノセンス』用の楽曲として作った。それを、アン・ウィルソンが気に入って、マット・ラングに頼み込んで譲ってもらい、女性用に歌詞を書き直してレコーディングしたという、いわくつきのナンバーである。しかも、歌の内容はべつにセックス礼賛や奔放な女性の歌というわけではなく、“子どもが欲しいからセックスをしたい”という、切実な女性の叫びを歌ったものだったから、セックスがらみの質問ばかり浴びせられ、アン・ウィルソンは辟易としたに違いない。ところが、ハートにとっては世界戦略を実行するうえで、さらなるアンハッピーなニュースが待っていた。
この曲がヒットし始め、世界中でオンエアされるようになり、いよいよヨーロッパ・ツアーという矢先にイギリスとアイルランドでこの曲が放送禁止指定曲になってしまったのだ。メンバーのハワード・リースは、この処置に怒り心頭。「曲の内容をよく確かめもせずに、勝手な判断で放送禁止にするなんてひどい」と、イギリス、アイルランド両国の当局宛に抗議声明を出したほどだったが、当然それは受け入れられず、悔しがったという。また、イギリスでの禁止を受け、マレーシアとシンガポールも放送禁止処分とした。すっかり“卑猥な曲”として有名になってしまったわけだ。
ところが、こうしたニュースが流れ始めてから、アメリカ国内でのシングル盤の売れ行きは加速。ついにハート唯一のゴールド・ディスクを獲得することになる。この時期トップに君臨していたのが、シングルでありながらダブル・プラチナムをとったマドンナの「ヴォーグ」であったことを考えると、最高位2位といっても「ディーズ・ドリームス」や「アローン」をしのぐヒットであったことがわかる。だからこそ、“アン・ウィルソンはセックスの歌を歌う奔放な女性”というイメ=ジがついてしまうほどにインパクトが強かったのだ(ちなみに、放送禁止になったとは言え、UKチャートでもTOP10に入るヒットを記録している)。
ところで、アン・ウィルソンが切実に「子どもが欲しい」と考えていたことをファンは9ヶ月後に思い知ることになった。91年2月、アンは生まれたばかりの女の子を養子にとっている。そして、この娘をかわいがり、91年6月にはディズニーのチャリティー・アルバム『フォー・アワー・チルドレン』に参加。ナンシーとのデュエットで「オータム・トゥー・メイ」を提供し、子守唄をしっとりと歌う母親の姿を印象づけた。この娘マリー・ラモローはいまでは成長し、アン・ウィルソンのプライベート・ライフの重要なパ−トナーになっている。そろそろ“セックスは好きですか?”という、不躾で失礼な質問からも解放されていい頃だろう。
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