1989年、オリジナル・アルバムとしては『トゥルー・ブルー』以来、3年ぶりの新作としてリリースされたアルバム『ライク・ア・プレイヤー』は、文字通り衝撃的なヒットとなり、アルバムは6週連続No.1、300万枚を超えるセールスを記録した。そして、そのタイトル曲は、アルバムからの1 st シングルとして、マドンナにとっての7曲目の全米No.1となり、シングルとしては初めてプラチナム・ディスクを獲得するヒットとなった。
マドンナと言えば“お騒がせアーティスト”というイメージがあるが、本当の意味で“お騒がせアーティスト”と言われ始めたのも、この「ライク・ア・プレイヤー」あたりだった。この頃、マドンナはインタビューのなかで「私は人を驚かせるのが好き」と語っているが、この「ライク・ア・プレイヤー」にも人を驚かせるアイデアを盛り込んでいた。なんと、ジャケットに匂いをつけたのだった。日本人には親しみのある墨の匂いが、欧米の人々には“東洋的、魔術的”な匂いと感じるらしく、エキゾチックな雰囲気作りとして取り入れたわけだが、これは見事に功を奏したと言えるだろう。
また、この曲のビデオ・クリップは、イタリアではキリスト教を冒涜しているとして、ドイツでは不適切な製氷源として、それぞれ放映禁止になっている。しかし、ヨーロッパ各国のチャートを集計したユーロ・チャートでもNo.1となり、ビデオの放映禁止がダメージになることなく、むしろ話題性をアップさせる結果になっている。さらに、まことしやかに流れた噂として“「ライク・ア・プレイヤー」を逆回転でかけると悪魔を崇拝するマドンナのメッセージが聴ける”というのがあったが、この噂に関しても、マドンナは否定も肯定もせず、結果として噂を煽ることになった(この噂がマドンナの口から否定されたのは1年後のこと)。世間が騒いでいるのを見て、マドンナはさぞかし気持ちよかったことだろう。
これ以来、マドンナの人を驚かす言動はどんどんエスカレートしていき、「ジャスティファイ・マイ・ラブ」ではユダヤ人を誹謗するものともとれる新約聖書に一部を採用(12インチ・リミックス)して、ユダヤ教の団体から抗議を受け、所属のサイアー・レコードには爆弾が仕掛けられるという騒ぎにまで発展している。そして、ついにはヘア・ヌード写真集の発表と、まさにスキャンダル・クイーンの名に相応しい活躍(?)ぶりだったわけだ。
89年の「ライク・ア・プレイヤー」当時、マドンナの周辺ではもうひとつのスキャンダルが乱れ飛んでいた。それは撮影に入っていた映画「ディック・トレイシー」の主演男優、ウォーレン・ビーティとの噂だが、マドンナは彼にモーションをかけまくり、めでたく(?)ハリウッドのうわさ話に発展させ、面目を躍如した。まぁ、マドンナの“男誘い発言”は初めてのことではなく、その後もサッカーのチリ代表フォワード、サラスに対し“彼を見ているとセックスのことしか考えられない”と強烈なモーションを送っている(当のサラスもサラスで、「ハダカを見たら、もっとオレのトリコになるゼ!」なんて応じているから、どっちもどっち)。結局は、ウォーレン・ビーティがマドンナに利用されたカタチで、「ライク・ア・プレイヤー」のヒットと、「ディック・トレイシー」の前宣伝に使われたというのが真相だ。
ところで、高校時代のマドンナは成績優秀で1年早く卒業し、ミシガン大学奨学生にも決まっていたのに、それを投げ捨ててニューヨークに出てきてデビューを待ったという話はあまり知られていない。じつは、模範生だったのだ。そして、いまではスキャンダラス・クイーンも通り越して、強い女性のシンボル的存在として憧憬の対象となっているのだから、まさにダイナミックな人生と言えそうだ。
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