Vol.21 ブルース・スプリングスティーン「ブリリアント・ディスガイズ」 2010.12.4

1984年7月にリリースされたブルースの大ヒット・アルバム『ボーン・イン・ザ・USA』は、86年になってもまだシングル・カットが続けられるほどのロングセラーになったわけだが、翌87年には5枚組ライブ・アルバムをはさんで早くもスタジオ録音のニュー・アルバムとして『トンネル・オブ・ラブ』がリリースされた。同作からの第一弾シングル・カットがこの「ブリリアント・ディスガイズ」だ。87年11月にはビルボードのシングル・チャートで最高位5位を記録している。

 

84年の『ボーン・イン・ザ・USA』でアメリカの顔になったブルースは、芸能界長者番付でもTOP3にランクされ、“大統領にしたい男”アンケートでもトップを独走していたが、この曲およびニュー・アルバムのヒットで好感度はさらにアップした。これは、このアルバムに込められた、ブルースの“愛”の表現や、85年に結婚したジュリアンヌ・フィリップスとの幸せそうな結婚生活、ある意味できわめて“小市民的”な姿を見せることがそうした印象につながったと見ている人が多いようだ。

 

この年の12月にはポール・サイモン、ビリー・ジョエル、ルー・リード、ジェイムス・テイラーとともに、ホームレスの子どもたちを救済するチャリティ・コンサートに参加。翌88年にはアムネスティのヒューマン・ライツ・ツアーの主宰者のひとりとして、スティング、ピーター・ゲイブリエル、トレイシー・チャップマンらとともにワールド・ツアーを敢行。社会問題に対する意識の高さを見せ、活動域が広がったことを印象づけた。

 

それが原因ではないにしろ、88年のジョージ・ブッシュ対民主党のデュカキス候補という図式になった米大統領選では、デュカキス側の応援演説を要請されたりしている。この“デュカキスを大統領に”というキャンペーンにはロバート・レッドフォードなども参加したのだが、苦戦を伝えられるデュカキスにとっては一発逆転につながる派手なパフォーマンスとなるはずだった。ところが、これが逆に火に油を注ぐ形となって、“ブルースをアメリカ大統領に”という運動が再び活発になり、デュカキスへの関心は薄れてしまったという皮肉な現象も引き起こした。

 

こんな騒ぎの渦中にあって、ニール・ヤングのコンサートに観客として参加したブルース。ニールがアンコールで「次の曲、誰か手伝ってくれないかなあ」と、よくある観客参加曲の前フリを行ったところ、ブルースが観客席からステージに上がり、即席のジョイント・コンサートが実現した、なんていうお茶目なエピソードも伝えられている。

 

さて、「ブリリアント・ディスガイズ」の歌詞のなかには、愛に満ちた家庭生活を送っている男らしからぬ、不穏当なフレーズがいくつか出てくる。いわく“お前は愛する女を演じ、オレは誠実な男を演じている”。いわく“今夜、ふたりのベッドは冷え冷えとしている。神よ、自分が確信していることを、疑っている男にあわれみを”(いずれも、三浦久氏の対訳より)。意味深な歌詞だが、この歌詞が真実のものとなる日がくる。

 

アルバムが大ヒットし、ワールド・ツアーも絶好調だった88年8月。ブルースは、日本流に言うと、不倫現場を“フォーカス”されてしまったのだった。バック・ボーカリストのパティ・スキャルファとの仲が相当“不適切”であることを証明する写真が新聞紙上をにぎわせ、ジュリアンヌはすぐさま離婚に向けてアクションを起こした。とすると、彼女の側にも“離婚願望”があったのだろう。こうなってくると、にわかに「ブリリアント・ディスガイズ」の歌詞が真実味を帯びて迫ってくる。そのアーティストの女性関係が、ひとつのヒット曲の存在で立体的に見えてくるなんてところにも、シンガーソングライターの味わい方があるのではないだろうか。

 

その不倫については夫婦双方納得していたのかもしれないが、証拠写真を突きつけられたブルース側の不利はいかんともし難く、彼が支払った慰謝料は一説によると50億円というから、なんとも高くついてしまった。ただ、その原因ともなったパティ・スキャルファとは、めでたく91年6月8日に結婚。今は幸せな生活を送っており、結婚から10年目の2000年に行われた全米ツアーでは「俺のかけがえのないパートナー」とパティを紹介している。

 

ホンワカ・ムードのブルースに往年の怒りがなくなったと嘆くファンもいるが、じつはこのツアー中に物議をかもした新曲「アメリカン・スキン」を発表している。この前年にブロンクスで起きた警官による黒人射殺事件を題材にして、銃規制問題や人種差別問題を激しい口調で歌った問題作。この曲に、警察幹部は一斉に反応し、ブルースの警備をボイコットするという事態にまで発展した。このことを“怒りのブルース復活”と快哉を叫ぶファンが多かったというのも、きわめてブルースらしいエピソードである。