音楽は、ヒット曲として人を楽しませる以外のパワーを時に発揮することがある。今回は、そんな音楽の効能を紹介してみよう。
時は1974年。ミシガン州キャディラックにあるキャディラック・ハイスクーうが舞台だ。74年から75年にかけてのフットボール・シーズンに突入したキャディラック高校フットボール部は当初、さっぱり勝てなかった。アシスタント・コーチは「力はある。こんなはずではない。何かきっかけをつかめば必ず勝てる」と、連敗脱出の糸口を毎日探していた。そんなとき、町の小さなクラブでハードロックのコンサートが行われ、このコーチはウサ晴らしとばかりにそのコンサートに出かけて大いに盛り上がったのだが、そのコンサートの主がデビュー間もないKISSだった。
ご存知の通り、当時のアメリカでは“ブードゥーの悪夢”と形容されたメイクを施し、20センチはあろうかというヒールのブーツを履いて、ステージ上で暴れまくるパフォーマンスにすっかり興奮したアシスタント・コーチは、まるで東映のヤクザ映画を観た後の観客のように身体と精神にパワーがみなぎるのを感じた。そこでこのコーチ、ハッとひらめいて、それ以降、部室や練習場でKISSの曲を大音量で流し、選手たちを鼓舞したところ、練習での気合いが上がってきたので試合直前のロッカールームでもKISSを聴いて出陣するという毎日を演出した。すると、なんとチームは7連勝。その後も勝ち星を重ね、このシーズンを優勝という最高の結果で締めくくった。
この結果を喜んだアシスタント・コーチは、KISSに宛てて礼状を書いた。なんと言ってもデビュー直後で、まだアルバムがTOP100に入ることがうれしいというようなマイナー時代のKISSだから、この手紙に感動し、ジーン・シモンズとポール・スタンレーは何かこの高校をもっと喜ばせるような企画はないだろうかと考え、その高校の講堂でフリー・コンサートを開きたいと申し出た。これには高校側も大喜びで、即座に開催を決定した。
コンサート当日。KISSがいざその高校に行ってみると、生徒全員がKISSと同じメイクをしていたのだ! その上、翌朝、町の歓迎レセプションが開かれたが、そこでは校長、町長、その他列席者のおエライさんまでもが全員メイクをしてKISSを迎えたのだった。こうして、まだマイナーな存在だったKISSは、キャディラックの町では一躍チョー有名なロック・アーティストになったのだった。
KISSが全米規模の大ヒットとなった「ロックンロール・オールナイト」をリリースしたのはその1年後のこと。75年に発表されたライブ・アルバム『アライブ』が旋風を巻き起こし、このアルバムから「ロックンロール・オールナイト」のライブ・バージョンがシングル発売されてHOT100の12位まで上昇し、ようやく全米的な知名度を得ることになった。
そのライブ・アルバムのオープニングを飾ったのが「DEUCE」という曲で、デビュー後しばらくは彼らのテーマ曲代わりにライブで演奏されていたナンバーだ。フットボールやアイスホッケーなど、ある程度格闘の要素を持つスポーツでは相手をビビらせる必要から自身を“こわいもの”に見立てることがよくあるが、キャディラック高校フットボール部は、チームを”DEUCE=悪魔・災難“に見立てて相手チームを飲み込み、快進撃を続けることになったというわけだ。
KISSは、シングル・チャート上では「ベス」と「フォーエバー」という2曲のTOP10ヒットしか生んでいないが、ハードロック・マーケットのリーダー的存在として歴史に名を残すことになった。また、日本ではアメリカを上回る人気を獲得。クイーン、エアロスミスと並んで、3大ハードロック・バンドとして君臨したのは言うまでもない。キャディラック高校フットボール部と同じく、彼らの演奏に勇気を与えられ、力を与えられて快進撃を果たした高校は日本にも絶対にあったに違いない。