Go-Go’sの2ndアルバム『バケーション』は、キャッチコピーとして“スーパー・ルンルン・ミュージック”というコトバが踊っていることでもわかる通り、徹底したポップ路線で売り出された。
デビュー・アルバム『ビューティー・アンド・ザ・ビート』の頃から日本では“スーパー・ルンルン・ミュージック”というコトバが好んで使われていたが、じつはアメリカではスタート当初は“ガレージ・ロック”としてカレッジ・ラジオを意識した売り出し戦略が練られていた。
それもそのはず、ベリンダ・カーライルやジェーン・ウィードリン、シャーロット・キャフィはバリバリのパンク・ロック・ファンで、ラモーンズやテレビジョンに憧れてバンドをスタートさせたほどだったから。
そのあたりを反映して、Go-Go’sのレコード契約に手を挙げたのはパンク系に強いIRSレコードだった。
彼女たちの演奏は、お世辞にも上手いとは言えないものだったが、パンクというコトバが持つ響きが技術を超越してノリで勝負といったイメージを含んでいたため、女ばかり5人が揃ってパンキッシュなロックンロールをやっていると評判になり、デデビュー・アルバムは全米で大当たり。それが日本に飛び火したときには、どちらかと言えばスノッブなフィールドで話題になるという雰囲気だった。
ところが、そのうちに彼女たちが本来持っているキャピキャピとした空気に周囲が巻き込まれていき、気づいたときには“ルンルン・ミュージック”と呼ばれても何の違和感も感じないほどになってしまった、というわけだ。
そして、デビューから半年を経て「ウイ・ガット・ザ・ビート」が全米2位を記録する大ヒットとなった頃からポップス・フィールドでの認知度が飛躍的にアップし、82年の夏、2ndアルバムのリリース時には日本では“完全なるポップス”と呼ばれるようになっていた。ちょうどこのとき、初の来日コンサートがあり、それにあわせてメディアにも登場。“スーパー・ルンルン”ぶりを振りまいて、ルンルン度も格段に上がっていた。
さて、来日時にコンサート以外の大きなイベントがあった。
それは、Go-Go’sにとって初のTV—CF撮影。スズキ自動車の“ジムニー”のコマーシャルで、確か“今ジムニーを買うと好きなようにペイントできる”といったようなものだったと思う。
CF用の曲は「バケーション」。
当日は、曲に合わせてGo-Go’sの2大アイドル、ベリンダ・カーライルとジェーン・ウィードリンの、とびきりの笑顔をフィルムに収めるべく、撮影スタジオのなかはまるで大パーティーのごとく陽気な雰囲気を演出してメンバーを迎えたのだが…。
実際に収録の作業がスタートしてみると、衣装が気に入らないだの、ヘアーが決まらないだの、腹減った、疲れた、とわがまま盛りの20歳代の女性5人の攻撃に日本側のスタッフはほとほと疲れ果てることになった。ともあれ、完成したスズキ自動車のCFは素晴らしく、Go-Go’sのルンルンぶりを伝えて余りあるものとなり、「バケーション」は本国アメリカをしのぐヒットとなった。特に、女子高生への浸透のスピードが早く、日本語で書いたファンレターが所属のレコード会社のCBSソニーに大量に届くという事態も引き起こされた。
なかでも女の子に人気が高かったのがジェーン・ウィードリン。彼女は日本語会話学校に通っていて、カタコトの日本語でインタビューに答え、メンバーたちの即席の通訳を務めた。また、実力派のシャーロット、キャシー・バレンタイン、姉御肌のハードロッカー、ジーナ・ショックと、アイドルとして騒がれてわがまま放題のベリンダとの間で、ほのぼのと潤滑油の役割を果たしていた点も人気急上昇の理由だったのではないだろうか。
もっとも、そのジェーンとベリンダのソリが合わなくなって85年にバンドは解散。なんとも短いバンド生命だったと言える。しかし、ファンに強烈なインパクトを与えたその存在感は、その後何度かの再結成を実現することになる。しかも、リユニオンするたびに好評で、ついに2000年には全米21都市をまわるリユニオン・ツアーが実現。そして、翌2001年には15年ぶりとなるニュー・アルバム『God Bless the Go-Go’s』もリリースされた。