1987年に、ジョーン・ジェット主演で公開された映画「愛と栄光の日々〜ライト・オブ・デイ」をご覧になった方はどのくらいいるのだろうか。あまりヒットしなかった作品なので、その数は少ないかもしれない。
ジョーン扮するロックンロールに情熱を燃やす主人公が、マイケル・J・フォックス扮する弟とバンドを組み、母親に反発しながら売れない日々をロックにしがみついて過ごし、やっとチャンスをつかんだときに母親と死別…というストーリーなのだが、これがジョーン自身の実人生とじつによく似ていたという。
この映画の監督ポール・シュレイダーは、アメリカの労働者階級の子どもとして育ち、家族内の衝突、段で津、失業、貧乏といった自らの人生を描こうと思って脚本を書き始めたときにジョーンの「アイ・ラブ・ロックンロール」がヒットしていて、そこで彼女の歩んできた人生を知ることになった。シュレイダーは、彼女をモデルに脚本を書き進め、86年に脱稿した時点では主人公はジョーンをおいて他にいないと考え、歌以外には興味はないという彼女を口説き落として映画を完成させたのだった。
ジョーン・ジェットは、全員女性の“下着アクション”を売り物にしたランナウェイズの一員としてデビューしたが、色モノとしか見られず、ホンモノのロックンロールを追求したい彼女にとってはフラストレーションがたまる毎日だった。ランナウィズ解散後、ソロに転じても「ランナウェイズの…」という冠はついてまわり、彼女はランナウェイズと完全に決別するために新しいバンドを結成する。それがブラックハーツだ。
リッキー・バード、ゲイリー・ライアン、リー・クリスタルという新しい仲間を得て、デモテープを制作。「バッド・レピュテーション」というタイトルを付けられた曲のデモを携えて、ジョーンはレコード会社を回り始めた。しかし、CBS、EMI、RCA、クリサリス、アリスタと回るものの、どこからも色よい返事は得られず、やむなく自分でブラックハートというレーベルを設立して自費制作でアルバム『バッド・レピュテーション』を発売。これがインディーズで売れたことによって、ようやくボードウォーク・レーベルとの契約を勝ち取った。
そして、ボードウォーク・レーベルの名のもとに再び『バッド・レピュテーション』をリリースする一方、本格的に新作の制作をスタートした。そこで、プロデューサーのケニー・ラブーナのアイデアも取り入れて、アロウズというバンドの地味なレパートリーであった「アイ・ラブ・ロックンロール」をカバー。これが見事に大当たりして、全米No.1ヒットとなった。
すると、各メジャー・レーベルからはブラックハート・レーベルとの専属契約の好条件の誘いがいくつも持ち込まれたが、そうした誘いに対する返事をジョーンはPVに込めた。「アイ・ラブ・ロックンロール」がヒットした後に制作された「バッド・レピュテーション」のPVは、手のひらを返すようにすり寄ってきたメジャー・レーベルをあざ笑うという内容になっている。ジョーンにしてみれば、“何を今更”という気持ちだったのだろう。
ジョーンはこの時期のインタビューで、「自分のレーベルを運営するのは大変だけど、思った通りの音楽活動を続けていくためには私にとって最高の方法だったのかもしれない。その意味ではメジャー・レーベルのみなさんに“よくぞわたしを受け入れないでくれたわ”と感謝したいくらい」と、語っている。
事実、その後ボードウォーク・レーベルの倒産で経済的な支えを失ってもブラックハート・レコードは独自の活動を続け、ジョーンの“アイ・ラブ・ロックンロール人生”は変わっていない。そんな人生観に共感したポール・デュレイダーが撮った映画が「ライト・オブ・デイ」というわけだ。
ところで、「ライト・オブ・デイ」は本来「ボーン・イン・ザ・USA」というタイトルで脚本の第一稿は書き進められていた。その時期に、ポール・シュレイダーからアイデアを聞かされたブルース・スプリングスティーンが後にそのモチーフを発展させて「ボーン・イン・ザ・USA」を制作。そのお礼の意味を込めて、「ライト・オブ・デイ」はブルースの書き下ろしの新曲として、シュレイダー監督とジョーンにプレゼントされた。