1982年に“プログレ界のスーパースター”という称号でデビューしたエイジアは、デビュー・アルバム『Asia』を大ヒットさせ、シングル・カットした「ヒート・オブ・ザ・モーメント」もビルボードのシングル・チャートの4位に送り込み、“ポップ・グループ”としての地位を固めた。
それは同時に、元イエスのスティーヴ・ハウ、ジェフリー・ダウンズ、元ELPのカール・パーマーという弾きまくりたいタイプのミュージシャンをまとめあげて“ポップ・ソング”を作ろうとしたジョン・ウェットン(元キング・クリムゾン)の思惑が商業的に正解だったことの証明にもなった。
さて、イエス、ELPといったプログレ・バンドで脚光を浴びてロック界のスーパースターになってからずいぶんと長い時間が過ぎ、世の中が激変していたなかで商業的な成功をおさめたエイジアは、当然のように“新しいルール”のなかに身を置くことになった。82年当時、ロック界の(それも商業的な成功を目指すポップ・ロック界の)新しいルールとは何か? それはMTVへの対応である。
80年代に入って急速に進化した“ビデオ・クリップ文化”は、81年のMTV開局とともに一気に花開いた。ロック、ポップスのヒットを生むためのメディアとしてMTVは不可欠なものになり、アーティストは先を争ってビデオ・クリップを制作し、その印象、衝撃、出来映えを競う。
そしていつしか、ビデオが面白くないものは売れないと考えられるようになって、アーティストにもある程度の演技力が要求されるようになり、見た目のかっこよさ、ルックスも求められるようになる。そんななかで、エイジアはポプ・ロック路線での成功を決定づけるべく2ndアルバム『アルファ』をリリースする。前作にも増してポップなシングル曲「ドント・クライ」も用意して。
しかし、この「ドント・クライ」は、ビルボード誌のHOT100でTOP10にランクインする大ヒットになったにもかかわらず、バンド内に大変大きな亀裂を生じさせる起爆剤にもなってしまった。スティーヴ・ハウは、この“ポップ過ぎる”曲を極端に嫌い、数々のインタビューで「好きではない」と明言したのだが、その発言の背景にあったのがこの曲のビデオ・クリップだった。
元々、ビデオなどは演奏場面を収録すればいいじゃないかという持論のスティーヴは、この曲のビデオでギターを持たない演技を要求され、激しく抵抗したという経緯もあって“「ドント・クライ」嫌い”になってしまったのだ。果ては、1983年の初来日コンサートで「<ドント・クライ>を演らない」と言い出し、日本側の関係者を慌てさせるというひと幕もあった。
ポップ路線の推進役、ジョン・ウェットンが、スティーヴの周辺スタッフのクーデターに負けて来日直前に脱退させられるという“事件”もあり、エイジアは大きくプログレ・サイドに揺り戻されていた矢先だったので、TOP10ヒットを演奏しないという発想も成り立っていたというわけだ。
結局、演奏はされたものの急遽リード・シンガーとなったグレッグ・レイクは、本番直前までこの曲の練習をしていなかったため、歌詞を覚えていないどころか符割りもあやふやなままライブに臨み、メロメロになっていた。ちなみに、その模様は“エイジア・イン・エイジア”とタイトルがつけられたMTVの衛星中継でアメリカ全土に放映された。
この「ドント・クライ」のTOP10ヒットを境に、エイジアのヒット規模は2ランクほど下落。その後、デビュー時の人気を盛り返すには至っていない。苦いヒット曲になったのだ。その後はメンバー・チェンジを繰り返しながら、エイジアの名前を受け継いで活動を続け、新作をリリースし続けているが、皮肉なことにジョン・ウェットンのソロ作のほうが常にエイジアらしい作りになっている。
これも、エイジアがジョン・ウェットンのバンドだったということの証明かもしれない。そして、07年にはついにオリジナル・メンバー4人での来日公演を実現し、08年にはそのメンバーでアルバム『フェニックス』を発表したのは記憶に新しい。
※この連載は2000~2002年に「mc elder」および「mc」で連載した内容を加筆/再構成したものです。