バーティ・ヒギンズが歌う「カサブランカ」が大ヒットしたのは1982年のこと。大ヒット、とは言ってもアメリカ本国ではヒットしていない、いわゆる日本型ヒットの典型であった。
そもそもこの曲は、バーティ・ヒギンズのアルバム『ジャスト・アナザー・デイ・イン・パラダイス』に収録されていたアルバム・カッツ。
アメリカで大ヒットした「キー・ラーゴ」(TOP10ヒット)と同様、ハンフリー・ボガートの映画にインスパイアされて作られた曲で、「キー・ラーゴ」のような曲をもう1曲、という要望から生まれたものだった。
ところが、日本では「キー・ラーゴ」よりもヒット性が高いと判断され、独自にシングルカットされたといういきさつがある。
ちなみに、「キー・ラーゴ」には歌詞のなかに“ボギーとバコールのようにキー・ラーゴまで船で漂ったね”というくだりがあるのだが、これはハンフリー・ボガートのフリークというバーティが、1年前に別れた恋人ビヴァリーに“愛し合っていた頃を思い出そうよ”というメッセージを込めて作った曲で、この曲のおかげでめでたくヨリを戻したバーティとビヴァリーは結婚し、2人の息子に恵まれて幸せな家庭を築いている。
「カサブランカ」は、そのバーティとビヴァリーにとって、さらに思い出深い曲だった。というのも、バーティがビヴァリーと恋に落ちたときのことが、そのまま歌われているからだ。
ドライブイン・シアターで「カサブランカ」を観ているうちに登場人物になりきってしまい、ポップコーンとコーラがキャビアとシャンペンに早変わりして、君の瞳にはモロッコの月が映り、古いシボレーのなかで僕らはまるで映画の主人公、と歌われる。
そのうえで“キスは今ものキス、カサブランカでは。でも君のため息がなければキスもキスじゃない。戻ってきておくれ”と恋人に歌いかけているのだ。
この曲が日本でシングル・カットされた頃、バーティの文学的表現に話題が集まった。映画「カサブランカ」のキーワードである“a kiss is still a kiss”そして“As time goes by”をうまく歌詞のなかに折り込んでいるからなのだが、初めての来日プロモーション・ツアーを前に意外な事実が判明した。
バーティ・ヒギンズはかの偉大な文豪ゲーテの遠い子孫であるというのだ。ヒゲをたくわえたヨーロッパ的なルックスは”ウ〜ム、さすがゲーテの血筋”と納得され、フロリダの明るいカントリー・シンガーは一転して気難しい文豪の末裔に変身したのだった。
もちろん、バーティ自身は何も変わっていないのだが、日本のメディアの扱い方は一変。特に新聞や一般週刊誌、写真誌はこぞって“ゲーテの末裔”と報じ、来日インタビューではあまりにもそれに関する質問が多く、バーティが辟易するという場面もみられた。
何はともあれ、「カサブランカ」は文芸大作として受け入れられたという側面もあったのだ。
もうひとつ、日本での大ヒットの要因になったのは、言うまでもなく郷ひろみによるカバー「哀愁のカサブランカ」のヒットとの相乗効果である。
このカバー・バージョン実現の裏には、あるラジオ番組の存在がある。ニッポン放送の番組の企画で“「カサブランカ」の日本語詞募集”および“その日本語詞を歌ってほしい歌手の人気投票”を行い、その企画の最終型として郷ひろみがリスナーの作った日本語詞を歌ったのだが、改めて訳詞をつけ直してリリースされたのが「哀愁のカサブランカ」だったというわけだ。
おかげで、かなり早い段階からカラオケが出回り、バーティ来日のおりには郷ひろみバージョンのカラオケで、バーティがカラオケ・スナックで熱唱、なんていうシーンもあったほどだった(その場面は、写真誌「FOCUS」の誌面を飾った)。
こうして「カサブランカ」は、日本で大ヒットとなり、そのヒットが世界に波及していった、典型的かつ理想的なローカリゼーションと言えるだろう。残念ながらバーティ・ヒギンズはこれ以後、アメリカでも日本でもメジャー・ヒットに恵まれていないが、今もフロリダを本拠にして活動を続けている。
※この連載は2000~2002年に「mc elder」および「mc」で連載した内容を加筆/再構成したものです。