ビールのCMで、そのいかにも粘り気の強そうな歌声を耳にして、“そう言えばオリジナル・ラヴはどうしてるんだろう?”と思っていたら、5月にベスト・アルバムがリリースされて、ツアーである。
というわけで、そのファイナルに来てみたわけだが、さて、オリジナル・ラヴのライブを見るのはいつ以来だろう?
この間のオザケン・ライブほどではないにしても、ずいぶんと久しぶりであることは間違いない。そういうライブに出かけたときの感想は大雑把に言って、“変わらないなあ”か“老けたなあ”のどちらかである。
で、この日の感想をその大雑把な二分法で振り分けようとすれば、“老けたなあ”ではないことは確かなのだが、“変わらないなあ”というふうに言ってしまうのはやはり大雑把に過ぎるだろう。
で、見ている間に思い出したのは、いつだったかは思い出せないにしても、この前に見た時には“田島はなんだか小林旭みたいになってきたなあ”と思ったということである。
そもそも、田島貴男が“渋谷系”の寵児としてもて囃されたメジャー・デビュー当時、濃厚な芸能性を洋楽的に洗練された、しかも優れてセンスのいい形で展開することによって“洋楽とか邦楽とかどうでもいいから、とにかくかっこいい音楽で盛り上がりたい”という若者の気持ちを鷲掴みにしたわけだが、僕が“小林旭みたい”と思った時期はその“渋谷系”時代の表現からいい意味で衒いが抜けて、例えばニューオリンズの街のライブハウスで歌っていそうなあんちゃんみたいな感じになっていたわけだ。
そして、この日の彼は、その時代から当然何歳か年をとったわけで、ということは“ニューオリンズのあんちゃん”は少なくとも“ニューオリンズのおっちゃん”になったはずで、でも“老けた”とは思わせないのだから、やはりヤツは凄い!と言うべきなのかもしれない。
しかし、例えば“田島貴男絶好調!”というふうに書くのがはばかられるのはなぜだろうと考えると、ひとつにはこの日のバンドとの相性があると思う。古田たかし(ds)、鹿島達也(b)、木暮晋也(g)という音楽ファンにはお馴染みのプレイヤーたちだが、この組み合わせが十全に現在のオリ・ラヴ・ワールドを表現しているようには思えなかった。
ただ、やはりいちばん気になったのは、田島の集中力がふっと切れたように感じる瞬間が2時間半のステージのなかで2回か3回あったことだ。それは本当に瞬間の感覚で、ということは僕の気のせいなのかもしれない。
あるいは、逆に集中し過ぎて、どこか先のほうに行ってしまったということだろうか。個人的には、時間はもっと短くてもいいから、そのねっとりとした歌が自分のからだにまとわりついて眠れそうにないと思えるような濃密なオリ・ラヴ・ライブを体験したいと願っているのだけれど。
それはともかく、この日のライブを見てひとつ確認できたのは、オリジナル・ラヴはオリジナル・ラヴらしく一筋縄でいかない成熟の道をたどっているということであって、だからこそ“渋谷系”の時代から自分たちにとってのかっこいい音楽を求め続けてきた人たちにとっては、これからいよいよオリジナル・ラヴは面白くなるということである。